阿佐ヶ谷駅手前を右手の商店街に入ると、渋さの滲み出る酒場「だいこん屋」を見つけた。古い下駄拭きマンションの1階、立て付けの悪い引き戸を開けると、昭和にタイムスリップしたような飴色の空間が広がる。正面手前に幅の広い木のカウンターがあり、後ろの低い壁の向こう側に10人ほどの座敷、その奥に厨房という珍しい構成だ。カウンター左奥に座り、座敷で盛り上がっている常連客の会話をBGMに酒を飲む。カウンターから畳敷きの座敷を跨ぎ、厨房を往復し膳を運ぶ。「大変でしょう」と訊くと「足腰のためにはかえっていいんですよ」と言う。店を開いて今年で53年目、かつて運送屋だった建物を改装した際に、ご主人と大工さんが店の造りを決め、女将は口を出さなかったという。
「本日の肴」という品書きは鰹刺、本マグロ刺、いわし刺、いわし胡麻焼き、鮭ハラス焼き、煮豚、レンコンはさみ揚げ、茄子チーズ焼き、ちぢみ法蓮草胡麻和え、フキと細竹の炒め煮、おつまみ3点盛り(ウナギ、ホタテ山椒煮、オリーブ)など350~800円と手頃な値段。酒は青森六花酒造「じょっぱり」、金沢福光屋「黒帯 悠々 特別純米」、新潟朝日酒造「久保田千寿」など。頼んだのは黒帯熱燗、徳利が熱くてこぼしてしまうからと1杯目は女将が注いでくれた。23年8月に86歳で亡くなったご主人松本純さんは、東京水産大学漁業学科の大学院を出た後に日本近海捕鯨(株)に入社し、捕鯨船の船長として世界各地を巡った後、1972年、36歳の時に「だいこん屋」を阿佐ヶ谷に開店。句人でもあったご主人は、翌年に俳句仲間16人を集めて「すずしろ句会」を発足、日本一行詩大賞新人賞を受賞した第一句集「三草子」、続き第二句集「一揃(ピンゾロ)」を発刊した。板張りの壁に「三草子」「人揃」の古びたポスターが貼られている。南極海で鯨を追いかけている時も歳時記を携えていたという、文学青年だった亡き主人の人生に思いを馳せ、静かに杯を傾けるのもいい。(似内志朗)